生命のエネルギー
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■生命のエネルギー・生命の価値


 エネルギーとは本来、人が利用価値を認める自然界の化学反応の力のことである。人が利用価値を認める力であれば、人自身もエネルギーとして一応認めることもできるだろう。ただ、エネルギーとして見られた人もまた他の人を利用価値のあるエネルギーとして見て作用を起こすことがある点に、自然界の他のエネルギーとは性質が違うので注意が必要である。


 人間の生涯に必要なエネルギー量や熱量についても考えてみよう。人間は生きているだけでも自然界の空気や食料を必要とする。それらのエネルギーを利用して生存を維持している。また、人間は物事を創造してコントロールする際にも、自然界から様々なエネルギーを調達していく存在である。その活動を総合的に考えてみると、人間は自然界から多様な形でエネルギーを扱いながら無限にエネルギーを取り出し続けていく活動をしていることになる。つまり人はエネルギーを取り出す電池のような存在であると見ることもできる。私たち人間はエネルギーである。私たちは宇宙の自然の中のエネルギーの一つの形である。

 この「人」や「生命体」をエネルギーとして見る考え方を生物学的に突き詰めて考えると、生命体の細胞に含まれるDNAの二重らせん構造は、世代を渡って形態を受け継ぎながら自然界から無限のエネルギーを取り出すことができる装置であるということになる。生命は自然界からエネルギーを取り出し続けることができる唯一の永久機関であると考えられる。


 そこから生み出されるこのエネルギーをどんな形で使っていくことが最も良いと思える結果を生み出すことができるのだろうか。やはり人々と共により良く生きられるように使うことが良いのではないだろうか。私たちはこの「人」というエネルギーを、最大限良い形に発散していく方法を考えていくと良いと思われる。


 この辺が掘り深められると、生命体の生命活動のエネルギー総量から経済社会の限界を理解したり、社会政策の有効性の程度を把握したり、経営判断を合理化したり、物事の物理的なエネルギーを必要な形に最適化することができるはずである。そのエネルギーの扱い方を考えることで、人間のあらゆる可能性を探っていくことができ、何らかの課題を乗り越える際や自らの生き方を有意義なものにしていく上で参考になると考えられる。

 


■人という企画


 「人」という存在も、生命体の生態系秩序の流れゆく生命の大河の中に現れた一つの企画に過ぎないのだろう。つまり「人」という種、形態、エネルギー構成は、生命体の多様なあり方の中に生まれる一つの企画の姿ということである。この考え方は、生物学、物理学、哲学、心理学、環境、地球科学などの視点から考える見方である。「人」という形、エネルギー構成、その流れも、宇宙の環境の相互影響によって生み出され、その化学反応の連鎖によって保たれる生命体としてのその個体の「意志」によって形が成り立っている。そういう「企画」と捉えることはできるだろう。


 人という形も、生命圏の中に現れた一つの企画である。その意志が向かう先は何なのであろうか。それは恐らく、私たちが仕事をしている上で取り扱っている企画活動の達成目標と同じようなものだろう。大体は「最大限の『良い』と感じられる状態」を目指しているのだろう。


 生命体の中には、絶滅した種がたくさんある。代表的なものに、恐竜がある。「恐竜」という企画が反映した時代もあったが、もう絶滅した。その理由は、恐らく私たちの企画活動と同じようなものだろう。環境に合わなくなった。必要なくなった。他の企画と競合し、互いの企画を潰し合って衰退した。隕石などの地球規模の災害に対応できなかった。恐竜という生命の企画活動を継続させるに必要なエネルギー源の調達が上手くいかなかった。などの理由が挙げられるのだろう。


 同じように、「人」という形態も、絶対的な形ではないだろう。数千年の歴史の中では、人類の営みや思考回路に大きな変化はないようだ。ただ、数万年の歴史の中では、人という種も知性、共同体の構成、使われている道具、仕事として扱う環境形成能力、世界認識などが変わっている。食べる物も違い、体格も異なってくる。「人」という生命の形も、大きな流れの中では変わっていくのである。今のところ、生命圏の中で「人」という企画が続いているだけのことだ。そんな形態はもともと地球上に存在しなかった。


 では、「人」という形が絶対的なものではないと理解したならば、私たちは一体何を拠り所にして物事の本質を見極め、仕事や生活においてより良い状態をつくり上げるための価値判断をしていけばいいのだろうか。


 それは、「意志」であろう。この生命圏の生命体の中に宿るより良くあろうとする「意志」であろう。生命体には、より良く歩もうとする意志があるように感じられる。少なくとも、自分自身の意志がそうしようとすることには確信があるのではないだろうか。


 この意志に、すべてを成り立たせているものがある。人という生命の形、仕事の企画、組織の力、まち全体、国全体、生命圏全域のより良い秩序を成り立たせていく力のすべてが「意志」である。

この「意志」は、この宇宙の中の地球という惑星の物質循環の中に生きる生命体に宿り、その脳神経に付随して生み出されるクオリア、感覚質、意識、世界認識が生み出す力である。


 どうやらこの宇宙を物理学、数学的に捉えると、星や銀河の生成、消滅を繰り返す空間と物質によって構成されているように観測できる。元を辿れば、どうやらビッグバンと名付けられた一点から爆発的に広がった何かのように見える。そうした広大な物理空間のエネルギーの中、自分たちは連鎖するエネルギー秩序に支配され、生命体というエネルギー形態、その中でも「人」という形で世界を認識しているように感じられる。その感覚である自身のクオリア、感覚質、意識、世界認識は、突き詰めていけば自分自身にしか感じられず、他者とは共有不能な何かであるように感じられる。ただ、他者や他の生命体にも、ある程度自分自身と同じような感覚を持っているようだと想定される。


 それら生命体が持っているように感じられる感覚(クオリア、感覚室、意識、世界認識などと呼ばれるもの)の意志は、何か一定の秩序をもって個々の形態を維持しようとしているように感じられる。それらの意志の総体は、生命という活動を全体で維持しようとする意志、エネルギーに支配されているように思われる。個々の生命体は、その中に現れる一つの企画活動のようであり、その意志の強さに応じて生存活動を保持する可能性をある程度の範囲で変更できる可変性があるように感じられる。そして、生命体は共生的に世代を繋ごうとしながらも、個々の生命体は活動を終えていく性質がある。個々の生命体の物理的なエネルギーの総量には制限があるが、世代を繋ぐ中にある意志は宇宙のあらゆるものを繋ぎ、半永久的で無限の可能性を持っている。


より良い仕事、より良い生活をするためには、この宇宙の物理的なエネルギーや生命圏の物質循環の中に宿るそれら生命体の意志の全体を捉え、その生命の意志の秩序に沿った形でより良いものを生み出していくとよいだろう。

その意志こそすべてである。人こそすべてというが、いや、生命体の意志こそすべてである。この宇宙に宿る生命体の意志こそがすべてである。


 いつでも、どこでも、どんな時でも、たとえ、どんなに不利で絶望的な状況であったとしても、より良い状態をつくり上げていこうとするその意志こそがすべてである。その意志に重点を置いて生きることに、ある程度の精度で確信を持っていてもいいのではないだろうか。


 私たちの生活や仕事においてより良い企画活動や組織活動をつくり上げていくためには、自身の中にある「意志」こそがすべてをつくり上げる大本であると知っておくとよいはずだ。それはきっと大きな力となるだろう。


 我々もこの意志の力を理解し、今とこれからを歩もうではないか。


■生えるようにつくり生きる

 より良い組織づくり、地域社会づくり、国づくり、人類社会づくりをするにあたっては、宇宙の中にある地球環境の中で、生命体や人や社会がまるで植物が土から生えるような感覚で捉えられると良いのではないだろうか。そのように見えると、あらゆる学問分野もまた、人間の命とその生存活動と共に「生えるように」発展していることが分かるだろうと思われる。この宇宙の地球の大地の上に、生えるように社会を形づくることが良いと思われる。企業や組織も、一つの植物のようにこの地域で生えるように生きていく必要があるはずである。そして自分自身も自然の上に生えるような感覚で生きることが良いと思われる。そのような視野を持ったならば、自分自身の生存運営と社会構築にあたって一体何が前提の基盤となり、それらをどのように運営していけばいいのか見えてくるはずである。

 これは政治のやり取りや経済の取引、経営上の組織などが、対人間のやり取りだけで成り立っているわけではないというイメージを得るためにも非常に重要な視野であると思われる。生えるように物事をコントロールして成り立たせる感覚を持って社会に出れば、社会で企業同士が闘争状態に陥ったり、経済バブルとそのショックに生活が惑わされたりすることなどの問題を回避することができると思われる。経営危機や様々な社会問題も解決できるように思われる。


■未来へ向かって共に生きるために


 この宇宙のあらゆるエネルギーの動きは、地球上の様々な環境に作用し、生命体の生存活動に影響を及ぼしている。そして人々の心にも様々に働きかけ、変化を及ぼしていくものである。そのように宇宙の環境下で生きる生命体人の心は、必要なものを欲しながら生きていく。よって私たちが人々に価値を認めてもらうことができる仕事を行うためには、宇宙の変化するエネルギー環境の中に生きる人々の心に望まれてこそ実現するものであると考えられる。そのため、宇宙とそこで生きる生命体の心をつなぐエネルギーの流れの中に、私たちの行う「仕事」というものの存在を位置付けていく必要があるということになる。そうでないと私たちは人々に仕事の価値を認めてもらうことができず、この人間社会の価値交換の中で対価を得ながら生きていくことができないからである。そしてその仕事には「いつまでも価値を生み出し続ける」という側面があると思われる。それは私たちがより良いものを追及して考え続けていくところに、価値を生み出し続け、価値あり続けることができるのだと思われる。その価値は生命体(人)の心によって感じられるものであるため、その仕事で生み出す価値は、生命の生存運営のサイクルやそのエネルギーの波に従ったものである必要があると考えられる。つまり価値あるものは宇宙や自然の中に生きる(人という)生命の姿そのものが生かされ、様々な物事と生存活動のエネルギーとが波のように組み合わさって生まれているものであると考えられる。そのため宇宙と生命はそれらのエネルギーの波を通してもともと一体のものである。それはすべての物事は宇宙の一部であり、すべての物事は私たち自身の一部を構成する存在であるということである。よって私たちに必要な仕事というものは、この宇宙の中に流れゆくエネルギーの流れに乗り、私たち自身の生命のエネルギーの流れを理解し、より良く生きられるように考え続けていくことであると思われる。


 それらの物事の因果関係を様々に辿る視点を持ったならば、私たちの仕事はすべての物事に何らかの形で影響を与えていくということが理解できるはずである。一つ一つの仕事は宇宙のすべてに繋がっていることになる。すべての生命体にも繋がっており、私たちはあらゆるものに対しても関係性の中に責任を持っていく必要があると考えられる。そのため、私たちは宇宙のすべてに繋がる壮大なエネルギーの流れを読み解きながら仕事を行う必要があるはずである。私たちは宇宙のすべてであり、また私たちはその中に流れゆくエネルギーを扱い、すべての存在に対して生命体の心の中において価値を与えられるように活動することができるはずである。そのように宇宙と生命のエネルギーの流れを捉えて扱うことができるならば、宇宙と生命の生存運営の因果の作用から様々なエネルギーを導き出し、すべての存在に対して「良い」と満足できるような価値ある状態に物事の形をつくり出していくことができるはずである。私たちのする「仕事」というものは、この世界に価値を与えていく力になることができるはずである。その力で、すべての物事を人々や他の生命体にとって価値を感じられる状態に導き、人々と共に幸せになれるように仕事をしていくことが大切ではないかと思われる。


 仕事のあり方を、人類が統合的に運用されていく中に位置づけていこう。そうすれば、人類社会の中でその仕事の価値が衰退することはないだろう。人類の全体が運用されている中に仕事を位置づけるには、世界を見、人類を見、私たちの立場から貢献していくために為すべきことを自らの理解の中に明確にしていく必要がある。私たちの土地を運営する視点でものを見ることである。街の経済の流れを見渡すことである。社会の問題を調べることである。政治の動きを感じることである。人の生き方を見ることである。地球上の人類の運営を解することである。人類社会に対する感度を高め、宇宙と自然と社会と人々を感じ続けることが大切であるだろう。


 人類の生きているさまざまな姿を調べたならば、人類全体を運用する方法が見えてくるはずである。そして自分の立ち位置を知ることである。解した全てを利用して自らの立場から人々と生命体の秩序が成り立つように貢献していくことである。この人類社会において、私たちの役割を感じ続けられるように努めることが大切となると思われる。

あらゆる物事は生命体によって価値を位置づけられ、生命体の欲するものによって形をつくり出されている。それらはつまり、すべては生命体のエネルギーの変わりゆく姿から生み出されているものである。そのあり様を捉えられるようになることで、あらゆる物事を自在にコントロールする方法を導き出すことができるようになるはずである。


 そして人類という途切れることのない生命と、より良く歩もうとするそれらの意志を解すことである。すると、世界に宿るあらゆる生命を繋ぐ力にも視野を持つことができるはずである。その視野は、あらゆる生命から溢れ出る無限のエネルギーとそのパワーを味方にする方法を理解することができると考えられる。私たちはこの宇宙において生命という大きなエネルギーを持つ存在の一部である。それらの莫大な生命のエネルギーのバランスを整え、そこから大きなエネルギーを導き出すことができたならば、とてつもなく大きく感じられる課題をも乗り越えていくための力を導くことができるはずである。


 私たちの心に宿る意志も一つのエネルギーなのである。それは必要性に合わせて莫大なエネルギーになりうるものである。私たちがそのような視野を持ち仕事をしていくことで、より良く生きるために為すべき仕事は生み出され続けるはずである。私たちが生き続けることができる妥当な経営を行うこともできるはずである。そして私たちはこの宇宙のあらゆる命と共により良く生きていくことができるはずである。

 



〔人という企画〕
国家というものも、一つの企画なのだ。そう、国家も、人々が幸せに生きていくためにつくり上げられた一つの企画なのだ。人々の意志が集まり、国という共同体の単位をつくり上げようとした企画なのだ。その国という企画の一つとして、「日本国」という企画が今のところ続いているだけなのだ。そんなものはもともと地球上に存在していなかった。国というものも、人がつくったものに過ぎない。