仕事



■心を引き受ける


 仕事をする際、価値をつくり上げていく必要がある。価値は心の中にあるものである。仕事の価値はそれを受け取る他者の心によって評価されているものである。そのため、際は他者の心の価値がより良い状態につくられるように仕事を引き受けていかずしては、他者にとって最適な価値を提供することができないということになる。そこで、仕事で引き受ける人の心について考えてみよう。


〇 仕事では、物をつくっているとか、サービスをつくっているとか、そのようなことが目的化してしまってはいけないだろう。仕事ではそれらを通して人の心をつくっているのである。どんな物やサービスをつくっても、人の心に良い価値を与えられないならば、価値は生まれないだろう。人の心を扱い、その心とその人の人生の価値をつくり出しているという意識がなくては、より良い仕事をすることはできないだろう。


〇 私たちの仕事において継続的に維持していくべきものは、「人の心」であると思う。社会では様々な職業に分化して、様々な役割を果たし、人々の心を維持していくのである。もともと不安定な社会の人々の心に安定をもたらすために支援をしているのだと考えられる。それがこの社会において仕事という存在の役割だと思われる。そのような役割配分を把握して活動していったならば、私たちの仕事での役割は途切れることなく生み出されるはずである。そして無限に仕事の品質を追求し続けることができるはずである。その道を歩むことこそ、私たちの成すべき仕事ではないだろうか。


〇 全ての人の心に調和をもたらせるように仕事をすることが大切なはずである。


〇 人の心に応えることで、そこに価値が生まれていくのである。人々の心に応えることこそ、社会に貢献することができるのである。しかし人の心は、変化するものである。その不安定な心にどんな時でも平和をもたらすものが、神である。結局行き着くところ、人は神のような存在を求める。つまり、私たちは神のような仕事をしなくては人々の心に応えられず、社会に貢献することができないということになる。神のような存在に必要なのは、人の心の中に神の代わりとして仕事をしていくことであると考えられる。


〇 経営者には、「物事の一番苦しいところを引き受けていく」という仕事があるだろう。物事の一番辛く苦しいところとはどんなところだろうか。そこには、苛立ちや、怒りや悲しみや、恨みや恐れや怨念や、不安や差別や恐怖などが全部あるだろう。それを引き受けていくというのは、神の領域だと言っていいのではないだろうか。あまり神秘的なことのようにしたくないため「神」という言葉は使いたくないのだが、結局そのような経営者の役割は神のするような仕事だと思う。そのような精神を持っていけるように努めていかないと、経営上の様々な物事に適切に対応できないだろう。運営上の判断を行う際、現代的な主要な価値として、「科学的」である必要はあると思われるが、その科学を扱うのは人間の心であると考えられる。「科学的な事実認識」というものをどう使うかは、結局人の気持ちの問題ということである。つまり突き詰めるところ、経営は科学では解決できないものである。そのため、経営者の心が人間社会の何を引き受け、人々のどのような心を引き受けていくことができるかという部分が重要になってくると思われる。人々の抱く様々な心を引き受けていくことは簡単ではないが、それが様々な要因によって変化してしまう不安定な人間社会の心の秩序を取り戻させ、平和的に保つ力があるのだと思う。結局、そのように物事に対する科学的事実認識というものをどう扱うか決めるのは人の心であると知っていると、バランスのとれたいい経営や仕事ができるはずである。


〇 あらゆる仕事は、必要性を感じる人の心によって生み出されているものである。パターン化された規則は、生み出してしまえば、それ以上の価値を持つことはない。パターンでは、機械的な豊かさは手に入っても、それ以上を欲していく人の心の変化に応え続けることはできない。人に心がある限りその心に応え続ける必要がある。そのためいつまでも仕事は尽きることがない。ある価値をパターン化して保存することは大切であるが、そのパターンに安住していては価値はどんどん減っていってしまうだろう。同じことをしていると、それから感じていた価値はいつの間にか死んでしまう。しかし人の心が求めるものを考えて新しい形を創造したならば、その仕事の価値は、息を吹き返すはずである。つまり、人を思えば仕事は無限に生み出されていくのである。人の心を思い、創造することで、形に魂が込められ、生きた価値となる。魂のこもった豊かな心で生きるため、人をつなぐ、心をつなぐ仕事をしていくことが大切であるだろう。

〇 世界一の品質の価値というものは、どこかに普遍的に存在するものではない。では世界最高の価値というのはどこから生み出されるのだろうか。世界中のあらゆる刺激から編み出すものである。私たちの知識の中から組み上げるものである。私たちの心の中から生み出していくものである。世界一はどこにあるのか。それは私たちの心の中にある。つまり、我々の中に世界最高を詳細にイメージできているならば、世界最高の価値なんてものはすぐに具現化して生み出すことができるものである。そのため世界最高をイメージできるように世の中の様々なものから刺激を受けていくように努めていけば良いわけである。そうして世界最高を詳細にイメージできれば、世界最高への過程はもう80パーセントぐらい完成したようなものである。そのような形で詳細にイメージできるようにしていき、世界最高の価値をつくり上げていこう。私たちの心は世界一であるだろうか。それを考えていこうではないか。世界一の心について、考え続けようではないか。

〇 フレーム問題が発生しないようにと、誰かによってつくられたフレームという形を切り出された世界認識の中に生きている人は、誰かのつくったそのフレームがなくなったときに途方に暮れて行動できなくなってしまいやすいだろう。フレームのない世界では、認識しなくてはならないことが多すぎて対応できなかったり、反対に世界から必要な物事をしっかりと読み取れないために課題解決のために思考するきっかけとなる情報さえ掴めないからだ。宇宙の中の生命活動にそもそも線引きやフレームはない。科学的メカニズムはあるようだが、それも現代の合意ごとにすぎない。そのため、宇宙のあらゆる因果を想定して、我々の心によってあらゆる学問分野の知識や経験、理解を駆使しながら妥当性の高い価値を生み出していく必要がある。その形が評価されるか、されないか。それは我々の心が人のためになっているかが現れるものであろう。


〇 形とは、元々もやもやとしたものに線引きをしてつくり出されたものである。その元々のもやもやしたものにどのような形を切り出していくかは、人それぞれである。多くの場合、人は責任やリスクを抱えたときに、その形を明確に定義し、自分にとって都合のいいように線引きし、形を切り出していくものである。だからその線引きが、他人にとっても同じように都合がいいとは限らないだろう。どんな物にも、どんなサービスにも、どんな制度にも製作者の作風が現れるだろう。つくられた物事は、突き詰めれば元々はそんな形に切り出さなくてもいいものかもしれない。もやもやとした本来の姿に遡れば、今までの作者とは違うものを切り出せるかもしれない。そんな前提に立って考えることも、仕事の創造力を高めるためには必要だと思われる。もともと国なんてものはないのだから、日本という枠組みで考える必要はないのである。宇宙の中に企業や組織、その仕事があるという考え方でもいいのではないだろうか。最初から自分自身で人類に貢献していくことができていたならば、国や地域など、そのような枠組みに定義される問題はもともと存在しないだろう。枠組みを決めてしまったがゆえに差別などの問題が生まれていることもある。その引かれた枠組みやライン引きによって生み出された差が、もともと妥当なものとは限らない。枠組みを決めた方が分かりやすく運営しやすい部分もあるが、今まで引かれている枠組みをなくしてつくり変えるという経営判断も、時には必要になるだろう。他人の勝手に引いた線引きの有効性を疑い、自ら新たな線引きをしていく姿勢が、仕事の創造性をつくり出すことができるのではないだろうか。生き残る経営には、物事をより良く成り立たせるために必要な本質を解し、他人の引いた線引きを疑ってみる姿勢が必要になるのではないだろうか。他人の引いたレッテルなどの線引きを、気にせず自由に横切り、通過し、渡り合える実力を身に付けていくことも必要になるのではないだろうか。しかし社会や他人が常識として引いたラインをつくりかえることは、力のいることだ。中途半端な精神でつくり変えると、叩かれるものだ。しかし創造的なパワーとはここから生まれるものであろう。


〇 〔常識を打ち破る〕
人は今まで自分の経験してきた様々なイメージに捉われているものである。そして自分の中に常識として認識しているものに影響を受けて選択しているものである。それが最も安全で妥当性が高い選択だからである。自分が消費者やものやサービスのユーザーであるならばその意識でまったくも問題ないだろう。ただ自分がものやサービスの開発者やクリエーターであった場合にはその感覚ではいけないだろう。つくり手のつくり出す価値がそのものやサービスの価値なのであるから、今まで人々が経験したことのない新たなる価値を打ちだすことができるならば、今までの常識を打ち破ることができるはずである。人々の持っている常識という感覚は、意志の強い今までのクリエーターがつくってきたものである。そのため、その常識の範囲を上回るような未だかつてない価値を生み出すことができたならば、人々にとっての新しい常識は変わりうるものである。常識を覆す価値を生み出すことは様々な前提や因果関係を把握しながら創造する必要があるため、大変な労力になるはずである。しかし、新たなる価値を生み出す意志が十分に強いならばそれは可能となるだろう。