■ 生命の大河

 正しく生きたいと思っていた。正しく生きられるならば、自分も他人もつらい思いをせずに生きていけると思っていた。そのため、失敗は改め、正しい判断を心に刻みながら生活していた。

 ただそれでも上手くいかず、日頃の努力も意味を持たないほど理不尽なことがある。法学を学べば、その理不尽な問題を解決できると思った。法を解せば理不尽から自分を守れるはずだ。また理不尽な事態を正すことができるはずだ。

 しかし法学を学べば学ぶほど、善いも悪いも状況次第で大きく変わってしまうことが分かった。それに民主制度の下では、法は人々の意思で創り出せるのだ。状況次第で善悪が変わるなら、法律だけを知っていても状況が分からないと正しさを判断できない。政治学も経済学も社会学も知らなくてはならないと思った。

 政治、経済、社会を調べるにつれて、場所や風土によって形態が違うことが分かった。だから地理学や歴史学も勉強した。政治も経済も運営という視点がないと、それらが変化していくメカニズムを把握できない。そのため経営学も学ぶ必要があると思った。

 経営には、組織学を学ぶと良いだろうと思った。しかし、それだけでは上手くいかないようである。経営には構成員の価値観が大きく反映されるのだ。リーダーがどれだけ努力しても、構成員の価値観があまりに違いすぎると経営は成り立たない。良い経営をするには、構成員の価値観が十分に理解しあえる状態になくてはならないと気付いた。そこで教育学を学ばねばならないと感じた。

 しかし教育と言っても、私は先生ではない。そもそも私の価値観を正しいとして人に強制することが教育というものになるわけではない。善悪に迷いが生じている私に、善悪や価値観を教育できないと感じた。この迷いと無力さから、心理学を調べあさった。

 心理学は宗教学や倫理学、哲学に結びつく。さらに人の気持ちや意思を物理的につかさどる脳に興味が移った。脳を知るには、生物学や神経科学を理解しなくてはならない。

生物学や神経科学を学んでも、人は結局物理的な物質でしかない。人は物理的な生体を維持するために、食して栄養素を摂らなくてはならない。動物や植物など自然から採ってくるのである。自然の生態系が壊れてしまうと食料など必要な物質を得ることができなくなり、人は生きられなくなってしまう。そのため、環境学を学び、自然をも運用していかねばならない。

 環境学を学ぶには、生態系や自然や地学、天文学や宇宙物理学を理解しなくてはならない。

 そんなこんなでしていると、宇宙と生命の関係を見るようになった。物事の善悪の判断も、宇宙と生命の様々に組み合わさった因果関係の中にふと現れる現象に過ぎないと思うようになった。

 最近は法というものはそれ以前に、自然の中にある生命体の運営が強く関わっていると思うのだ。そのため、人と共に生きる中で必要になる物事の善悪の判断を、生命体が生命活動に必要なエネルギー配分をコントロールしていく中に位置づけようと思うのである。すると自分も他者も、共に認め合える最善の判断を生み出していけると考える。
人は一人では生きられない。そして物事は様々な因果関係で結ばれている。自らと世界中の生命を結び付ける因果の総体を垣間見れば、この世に宿る「命」という大河の流れを感じる気がするのである。

 社会生活の中で、複雑な要因の下に著しく悪い問題が発生することがある。その時に、この命の大河のどのような流れの中にこの現象が起きているのかを解することができたならば、その命の大河の意志に反することのないより本質的で根本的な最善の解決策が見えてくるはずだ。全ての物事は私たちの命のエネルギーを中心に様々に繋がっている。大きな問題を解決するためにはその姿を様々な視点で読み解いていく必要があると思うようになった。

 生命の大河の流れゆく姿とその中に生きる生命体の意志がつくり出す波を解したならば、この世に起きうる不幸を最小限に留め、最大限幸福感を得ることができるよう物事の形をつくり出していくことができるはずである。我々生命体にとって必要となるものを実現するにあたって、妥当性の高い判断を導くことができるはずである。

 その視野を十分に会得することができたならば、必要性に合わせて様々な課題を解決し、より良いものごとをつくり続けることができるはずだ。その視野は、無限の創造性を味方にすることができるはずである。



■生命の大河の流れ

 宇宙の生命圏の生態系秩序を把握しながら経営した方がいいだろう。利用者目線、関係者目線、地域視野、国家視野、世界視野、人類視野に加えて、「生態系視野」が必要だと思われる。経営とは生存秩序を保つ運営形態を維持する活動だと思うからである。生態系を維持していくことのできる選択をする経営でないと、人類が命を保ちながら価値あり続けていくことはできない。そうやって全人類と全生命体と共に歩み、平和的な社会や生態系を維持しながら生き続けていく組織や価値をつくり上げるといいはずだ。

 宇宙の成り立ちから続く長い年月をかけて形成された生命活動は、生命の大河として歴史を刻み続けている。宇宙のビックバンまで遡って、生命の大河に位置づけた運営が必要になると思う。この流れに正しく乗ることができる組織づくりをするためには、人類の歴史の流れを知ることと、組織の歴史の流れを知ることが大切だと考えられる。すると、その人類の歴史と組織の歴史をきれいに調和させていくことで、組織は最も生産性の高い社会貢献を実現することが可能になると思われる。生命体の命の活動を数十億年の流れとして読み解き、今ある自分や経営組織と絡み合わせ調和させていくと運営上も有益な結果を生むことができるはずである。その流れに乗ることは、人類の心に貢献していく組織体としての活動を行うにあたっては必ず必要になるものだろうと思う。組織を人類の生命の大河の流れの中にスムーズに波乗りさせられるぐらいの貢献をした方がいいと思う。そのためには、学び続け、考え続け、それぞれの環境で価値あり続け、生命の大河のバランスを整え続けていく必要があると思われる。

 この取り組みは、組織だけでなく、健全な社会づくりのためにも必要だと思われる。組織や国家を見ればこの部分の理解度や経験や練度の高さは見えてくると思われる。これを極めて高い品質に調整していく力が必要になると思われる。

 そして生命の大河の流れの中にあるそれぞれの人の人生にとって、その仕事で生み出される価値がいかなる存在であるべきだろうかと考えて行動していくことのできる視野と理解が必要となるだろうと思う。

 仕事にはそのような社会貢献の役割があるのではないかと思われる。

 結局生きていくためには全ての物事は繋がっており、それらを総合的に総合生存学的な視点から達観できる必要もあると思われる。職場での学びや研修のインフラを整えてくことはもちろん、人類にとって仕事というものはこのような考え方の中に成り立っていくべきものと思われる。

 時間を観望し、世界を俯瞰し、生命体(主に人類)の総数や生息地を捉えたならば、未来ある方向性が常に見えてくるだろうと思う。また逆に、「この道に未来はない」という部分にも早い段階で気がつくことができるのではないだろうか。そのように未来を予測し、より良い未来をつくるために自らも積極的に行動できるのではないだろうかと思われる。

 生命の大河を捉え、それぞれの物事をその大河の中に位置づけたならば、その物事の栄枯盛衰の未来は予測できる部分があると思われる。生命の大河の波の意志を解して経営をすることは、価値あり続ける運営を行ったり、栄枯盛衰を達観した上で適切な運営判断をする上で必要なものだと考えられる。


〇 人は命があることでこの世界に価値を感じていくものである。その命を繋ぎゆく生存運営の活動は生命の大河としてこの宇宙に流れゆくものである。この宇宙に生きゆく生命のエネルギーを漏れのなくより心地よい流れへと整えていくところに、この世界により良く、また新鮮な価値を感じ続けながら心地良く生きていくことができるはずである。

 そのような視野を持ち、この宇宙の生命と付き合い続け、価値あるものを生み出し続け、より良い状態に導き続けていく姿勢が求められるのではないかと思われる。


〇 仕事とは、様々な岩や石の障壁に塞がれた人の命や気持ちの滞りを取り除き、川が流れるように生命の大河の流れを良くすることだと思われる。私たちもそのような仕事をするといいと思われる。仕事は水の流れを良くする川遊びと同じようなものだと思われる。私たちが政策を展開する際も、人の命の水が時間という川を流れていく際にスムーズに流れるように意識して行うようにするべきだと思う。いつまでも岩や石の障壁に阻まれていては、周りの水にどんどん置いていかれるから注意したほうがいいだろう。ただやはり、川のどこを流れているかで流れがいいところや悪いところがあるからどうしても他と差は生まれてしまうだろう。そんな中水の流れをいかに良くするかは常に考える必要があると思われる。

 生命の個々の個体は死を迎える有限の存在であっても、生命の大河に残したエネルギーは無限であり、永遠に繋がるものであると思われる。有限と無限の中に生きる命というエネルギーの姿を見つめ、この宇宙のエネルギーを感じ続けよう。この宇宙の生命の大河の共生システムを洗練させていこう。この宇宙と生命の大河のエネルギーに調和していこう。