学問の学び
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■現代社会は急激な変化の時代を迎えている


 現代社会は急速な変化の時代を迎えている。インターネットなどの情報通信技術の発達により誰もがいつでも世界中と通信が可能となり、膨大な情報が世界を駆け巡る時代を迎えた。また、輸送網の発達により国境を越えた物品のやりとりが行われたり、企業が海外進出を容易に行うことが可能となった。人、物、金、サービスなどが国境を越えて行き交い、国際化の波も急速に押し寄せている。このような社会環境の変化の激しい中において、人々が求める価値も多様化し、流動的で変化しやすいものとなった。その影響で産業構造を変化させ、長らく安定的に反映していた企業なども急速な変化に対応できずに経営を維持できなくなるなどの問題を生み出している。



■社会の問題


 そのような多様で急速に変化する不安定な社会環境の中では、一つの専門的な学問分野を身に付けただけの人材では柔軟に環境に適応することができないという問題を生み出している。変化する社会環境においては、教えられた専門的な細かい知識をただ身に付け、その知識を再生するだけでは現実社会の課題に十分対応することができなくなっているのである。さらに、産業構造の変化により数年後には現在ある職業分野も姿を消してしまっている可能性もある。そのため、身に付けた専門知識は将来役に立たなくなる可能性も高くなっている。



■現代の大学の問題


 そのような時代背景を認識し、私たちは学問との関わりを問い直す必要があるだろう。また、今後学問を学ぶ際には、学問体系が実社会において有益で価値をもたらし続けるものであるのかもよく考えていく必要があるだろう。

それでは変化の激しい社会に適応でき、人々の変動的な価値観にも対応し続けることができる力を身に付けるため、私たちは何を学べばよいのだろうか。学問とは一体何かということから検討してみよう。



■学問とは何か


 多くの場合、学問は体系化された知識の基盤を意味している。また、その活用の有益性を保障するため、それらが一般に誰でも同じ認識に到達することができる妥当性の高さが求められている。「妥当性の高さ」というものは、誰もが同じステップを踏むことによって同様の結論に至ることができる再現性が重要な判断材料となる。それらを有したものを科学的であるとして多くの学問分野が形成される基礎をなしている。私たちはその科学的認識によって体系化された知識基盤を「学問」と呼んでいるといえるだろう。



■科学的認識とは何か


 学問として認めうる科学的認識とは何だろうか。これについてもより深めて考えてみたいと思う。科学的な物については先ほど述べたが、「認識」について考えてみる必要がある。



■そもそも認識とは何か


 認識とは何だろうか。「認識」とは人の脳に起きる意識によって物事を観測する作用のことである。人の持つその意識というものは、五感を通して物事を様々に感じる作用を持っている。またそれらの刺激から物事を捉え、思考し、新たなイメージや概念をつくり出す作用を持っている。これらの作用を形成しているものをクオリア(=感覚質)という。これについては哲学者デカルトが「われ思う、ゆえに我あり」という言葉で示している自身の感覚とも言える。



■ではクオリアが価値を認める学問とは何か


 このクオリアの感じ方を有益にするものごとこそ、人に「価値がある」と感じさせることのできるものであると考えられる。変化する社会環境の中、私たちにとって学問を有益な存在とするには、このクオリアに価値をもたらす作用と密接に関わっていることが分かるだろう。


 学問に価値があり、有益であるとされるのは、「人が生きていく中で直面する課題を解決する際に必要な技術的手段として利用価値のある科学的知識や認識の体系であること」が重要となるだろう。つまり、人が生きていく中で必要となる学問に価値を感じ、学ぶことに有益性があるのである。価値は人のクオリアの中に生まれるものであり、そのクオリアは人が生きているからこそ生まれているものである。そのため、人が生きていなくては、その人のクオリアの中に価値は存在しないのである。人の命なくしては、人の持っているクオリアに価値は生まれないのである。



■生存のための学問


 人の命がなくては物事に価値がないのであれば、人が生きていないと学問に対して価値を感じないということになる。そのため、学問の価値の究極は生きるために有益な手段として利用されるところにあるといえるだろう。そのため現代の私たちの身に付けるべき学問とは、生きていく上で解決する必要のある課題に直面した際に、学問的な知識基盤を基に考え続けていくことができる力であるだろう。私たちは学問を学ぶ際に細かい専門知識を覚えるのではなく、学問分野の基礎的で根幹的な部分をしっかりと身に付け、未知の課題に直面した際に対応する解を導くための「考え続ける力」を身に付けることが必要である。



■共生のための学問


 現代人は社会の中で生活しており、一人では生きていくことができない。そのため、社会を構成しているすべての人が共により良く生きていくことができるようにしないと、社会の様々な部分に問題が生じてしまい、社会を構成している個々人がより良く生きていくこともできなくなってしまう。そのように社会を構成している個々人の生活は社会という共同体を通して様々に繋がっているのである。よって、私たち自らがより良く生きるためにも、社会とのより良い共生関係をつくる力も求められてくるだろう。その力を得るためには、「価値あり続ける力」が必要となる。



■あらゆる学問を人類の共生と生存運営を中心として結び付ける


 価値あり続ける力を身に付ける基盤となる学問は、あらゆる学問領域を「生存と共生」を軸に結び付けた「総合生存学」という学問が必要となる。これは社会で人々が生活していく上で直面するあらゆる問題を解決する知識基盤となるはずである。この視野を身に付けることで、社会の人々と共生しながら個々人もより良い生存運営を実現することができるはずである。社会で生活しているすべての人の人生がより良いものとなるように導くことができる視野である。いくつかの宗教で既にそのような視野を有しているものもあるが、宗教的教義ではなく科学的認識を基に体系的な学術的基盤として表現している点に総合生存学の意義がある。総合生存学を学ぶことで、人が生き、生活していく中で感じる価値をより良く感じ続けることができるように様々な問題を解決し、物事や社会の形をつくり上げていく判断を可能とするはずである。すると、あらゆるものを包括したバランスの整った平穏な社会をつくることができるはずである。


 では総合生存学とはどのような内容なのだろうか。例えば、総合生存学に強く含まれる学問分野として以下のものがある。

政治学 法学 社会学 経済学 経営学 哲学 宗教学 心理学 歴史学 地学 環境学 理学 物理学 生物学 農学 化学 薬学 栄養学 医学 人間学 家政学 教育学 情報学 天文学 工学 情報工学 軍事学 

 ほとんど全ての学問は、人類の生存運営を中心に結び付けることで総合生存学の一部として位置付けることができる。


 これらを結び付けて体系的な因果関係を読み解いてみよう。宇宙に存在する物質の物理的現象を基に、太陽から放出された光エネルギーが地球に到達し、大気熱や地熱に変わって気象を形成し、風や雨などの現状から自然環境を形づくる。その中に生命体である動植物が育ち、自然の物質を摂取したり、生態系を構成して動物が植物や動物を摂取して生存活動を行っている。その中で人類という種が社会という共同体をつくり、農業や水産業を行い、経営や経済活動を行い始めた。社会の発展に従って工学や医学など様々な学問分野も発達していった。社会の人々は国をつくり、政治や法をつくり出し、地球規模で国際社会を構築していった。

 総合生存学の学問分野では、それら宇宙に存在する生命体の生存運営活動の歴史的な一連の流れの因果関係を読み解き、人々が生きていくより良い未来社会を描く力に変えていく視野になるはずである。あらゆる学問を生存と共生を中心に結び付けて扱った統合的な視野である。



■大学の役割


 これからの時代の人々は、変化する社会環境で遭遇しうる今まで経験したことのない未知の課題を解決するためには、課題に直面した際に様々な方法を駆使して解を導き出すために考え続けていくことが必要となるだろう。そのため、学問知識を単に再生するのではなく、その学問を駆使して考え続けていくことのできる力が必要となる。そのため大学では、この「考え続ける力」を身に付けるため、専門的な細かい知識を学ぶのではなく、学問分野の基礎を徹底して身に付けることが必要となる。


 また、変化する社会環境においては一つの専門分野の考え続ける力を身に付けただけでは、求められるニーズや環境の変化に的確に対応することができない。そのため様々な学問分野の基礎を身に付けていく必要もある。そのため総合生存学を様々な学問分野の憲法として位置付け、総合生存学的な視点を中心に様々な学問分野に渡って関係性を導き出し、今まで出会ったことのない未知の課題を解決していく力が必要となるだろう。そしてその課題解決は社会の人々との共生に貢献し、それぞれの人の人生が実りあるものとなるようにしていくことが大切である。


 これからの大学教育で行っていくものは、そのような認識の下に人々にとってより良い価値をつくり出していくことのできる創造性を導くことであるだろう。